こんにちは、ユーキです。
日本100名城に登録されている松坂城の基本情報をまとめました。
基本情報を押さえて、充実した訪問にしましょう。
基本情報
押さえておきたい基本情報をコンパクトにまとめました。
初代城主(最初に建てた人)
蒲生氏郷(がもううじさと)
来歴
松坂城は、1584年(天正12年)、四五百森(よいほのもり)と呼ばれる小高い丘の上で築城が開始されました。
夜を日に継いで作業が進められ、築城開始からわずか3年で完成しています。
その後、本丸・二の丸・三の丸の曲輪の整備が整備されていきます。
1619年(元和5年)、和歌山藩主となった徳川家康の十男、頼宣の領地における支城となり、紀伊徳川家(紀州藩)の一城となりました。
1794年(寛政6年)には、二の丸で御殿(徳川陣屋)の着工がされています。
1863年(文久3年)、松坂城の警護として松坂御城番の職が設けられ、御城番武士20家の住宅として、松坂城三の丸の地に御城番長屋が建てられました。
1871年(明治4年)の廃藩置県により廃城となり、堀も埋められ、1877年(明治10年)には火事で二の丸御殿が焼失しています。
建物は徐々に失われ、今は石垣を残すのみとなっています。
小説家・梶井基次郎は1924年(大正13年)、松坂に滞在し、翌年、松阪を舞台にした小説「城のある町にて」を発表しています。
見どころ
松坂城の見どころをまとめました。見たいところを事前にピックアップしておき、時間を有効に活用してください。
重要文化財・史跡
松坂城で重要文化財に指定されているものはありませんが、隣接する建物が重要文化財に指定されています。
また、松坂城跡は史跡として指定されています。
重要文化財
松坂城に隣接する旧松坂御城番長屋が重要文化財に指定されています。
- 旧松坂御城番長屋
史跡
史跡は遺跡のなかでも重要なもので、文化財保護法に基づいて指定されます。
松坂城跡は国の史跡に指定をされています。
- 松坂城跡
石垣
まずは何といっても、近江の石垣専門の職人・穴太衆(あのうしゅう)によって作られた壮大な石垣です。
築城当時の野面積(のづらづみ)、江戸時代の修復時の打込接(うちこみはぎ)、算木積(さんぎづみ)の工法で作られた石垣を見ることができます。
また、築城当時、大量の石材が必要となり、近郊の石を集めに集めたと言われています。古墳時代の石棺も含まれていたようで、天守台で石棺の蓋を見ることができます。
天守台までは直線ではなく、何か所かの曲がり角があります。戦国時代の攻め込まれない工夫を肌で感じることができます。
旧松坂御城番長屋
江戸時代にタイムスリップをしたような感覚が味わえるのがこの旧松坂御城番長屋です。
旧松坂御城番長屋は「松坂御城番」の武士20人とその家族が住んでいた武家屋敷で、2004年(平成16年)に国の重要文化財に指定されました。
近世の武家長屋でも最大規模を誇り、通路を挟んで2棟の長屋が並んでいるのは壮観です。
現在も子孫の方々が実際に生活をして、維持管理を行っています。1戸は見学用として無料公開されており、内部を様子を見ることができます。
映画「るろうに剣心」でロケ地としても使われました。

まとめ
松坂城の基本情報をまとめました。
- 松坂城は蒲生氏郷(がもううじさと)が建てた城
- 急ピッチでの築城で、古墳時代の石棺の蓋がある
- 見どころは石垣、旧松坂御城番長屋
訪問の参考になれば、幸いです。