掛川城の基本情報|日本100名城

掛川城

こんにちは、ユーキです。

日本100名城に登録されている掛川城の基本情報をまとめました。

基本情報を押さえて、充実した訪問にしましょう。

目次

基本情報

押さえておきたい基本情報をコンパクトにまとめました。

初代城主(最初に建てた人)

朝比奈泰煕(あさひなやすひろ)

来歴

室町時代に駿府の守護大名である今川義忠(いまがわよしただ)が遠江進出を狙い、部下である朝比奈泰煕(あさひなやすひろ)に築城を命じたのが始まりです。

当初は、子角山(ねずみやま:別名は龍胴山)に1497年(明応6年)から1501年(文亀元年)にかけて築城されました。これを「掛川古城」と呼びます。

現在の掛川城は、今川氏の勢力拡大により1513年(永正10年)、龍頭山に今川氏親によって築かれました。

1590年(天正18年)になると、山内一豊が掛川城に入城します。山内一豊は大規模な修築を行いました。

掛川城の天守はこの時、築かれたものになります。

1854年(嘉永7年・安政元年)の大地震によって天守が倒壊してしまいます。

再建されてのは1994年(平成6年)で、日本初の本格木造天守となりました。

再建にあたっては、山内一豊が築城した高知城を参考に、残された図面から復元されています。

見どころ

掛川城の見どころをまとめました。見たいところを事前にピックアップしておき、時間を有効に活用してください。

重要文化財

掛川城で国の重要文化財に指定されているのは、以下の1件です。

当時の姿を思い浮かべながら、見てみると楽しいかもしれません。

  • 掛川城御殿

天守

日本初の「本格木造天守閣」として復元され、「東海の名城」とも呼ばれています。

外観3層、内部4層で、大きさも6間×5間(約12m×10m)とそれほど大きくはありません。

当時の山内一豊が作った天守は記録に残っていないため、詳細がわかっていません。そのため、復元にあたっては、似せて作ったといわれる高知城が参考にされています。

違いを比較してみるとおもしろいかもしれません。

掛川城御殿

国の重要文化財に指定されている、二の丸の御殿です。

城郭御殿が現存しているのは掛川城を含め、4か所しかありません。主要部分に含め、小書院や諸役所までほぼ全体が残っている非常に貴重な建物です。

1854年(嘉永7年・安政元年)の大地震で倒壊したものの、1855年(安政2年)から1861年(文久元年)にかけて再建された建物が現在にまで残っています。

掛川城御殿は藩の公的式典の場、城主の公邸、藩政の役所の3つの機能を持った施設です。当時の藩政や城主の生活に思いをはせることができるでしょう。

二の丸茶室

将棋好きの人はぜひ訪れてほしいです。

なぜならば、ここ二の丸茶室で、王将戦第一局が行われるからです。過去にここで対局した方々の書が展示されています。

入館すると、お茶(お菓子付)をいただくことができますので、休憩がてらに立ち寄りをお勧めします。

イベントなどが行われていなければ、対局で使われる部屋を見ることができます。

まとめ

掛川城の基本情報をまとめました。

  • 掛川城を最初に建てたのは、朝比奈泰煕(あさひなやすひろ)
  • 二の丸御殿が国の重要文化財に指定
  • 見どころは重要文化財、天守、掛川城御殿、二の丸茶室

訪問の参考になれば、幸いです。

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この記事を書いた人

大学時代に日本古代史を履修。戦国時代への興味は普通程度だったが、旅行好きだったこともあり、2024年、日本100名城をついに開始。
どうせなら、訪れた城に詳しくなろうと決意し、ブログ開設に至る。

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